寺庭さんと話そう

誰も教えてくれないから

様々なご意見あると思いますが

 住職の奥さんは、宗派によって呼び方が違うようですが、私は寺庭婦人(じていふじん)と呼ばれます。住職も宗派によって様々な呼び方があるようです。地域によっても、様々風習が違いますので、分からないこともたくさんあります。

 ですから、寺院という場所に身を置いた瞬間から、在家(寺院ではない育ち)の人が、何の予備知識もないまま、住職、また、その家族とご縁ができ、寺院での生活が始まるのですから、戸惑うこと、疑問に思うことはたくさんありました。

 少し個人的なお話になりますが、私は、幼い頃から正義感と負けん気が強く、その性格によって様々なトラブルに巻き込まれました。巻き込まれたという表現は、適切ではないかもしれませ。いずれにしても、そのトラブルは私の心を揺さぶりました。考えさせられる出来事ばかりでした。人としてこうあるべきという教えに対して、世の中、白黒はっきりさせることは良くないと言われ、まだ、若いから理想を言うのはいいけれど、現実は違っているのだから、大人になりなさいと言われ、では何が正解なのだろうと考え続けています。

 前置きがかなり長くなりました。そんな社会に疑問を持つと同時に、寺院という場所、それぞれの立場についても疑問だらけでした。そもそも、お坊さんは男性社会です。尼さんもいらっしゃいますが、その立場は、その立場に立ってみないと分かりませんので、此処では触れずにいたいと思います。

 私自身、寺院に対する印象は、良いとは言えませんでした。一般的な坊主丸儲けなどと言われるように、住職や家族を批判するものだったように思います。寺族となった瞬間から批判する立場から、批判される立場になってしまいました。とてもやるせない気持ちになりました。なぜ、批判されなければならないのか、批判する人たちの気持ちを理解したいと思いました。けれども、そう簡単に答えは見つかりません。無い知恵を絞って、批判される原因は、寺院の日常を知らないからだろうという答えを導き出しました。時代は、HPやFacebookというツールが出始めていました。多くは、販売促進ツールとして活用されていましたが、私は、自分の住まう寺院の歴史や、寺院での生活を皆さんに知っていただくことが、相互理解を深めるのではないかと考えました。ところが、これが大きな波紋を呼びます。

「一体お前は何様だ・・住職でもないのに、住職のような顔をして。女は檀家にお茶を入れて、挨拶していればいいんだ・・」と。そういう人もいれば、全く真逆の事も言われ、どちらが正解なのかしら・・と、疑問は増えるばかりでしたが、答えを教えてくれる人もいません。しかし、ある時、人の言葉ほど無責任なことはないという事に気付きました。無意味な言葉に一喜一憂して、限られた人生を無駄にしたくないと思いました。また、年を重ねるほどに、人と人の関わりは変化するという面白い現象も体験させていただいております。

 何よりも痛感していることは、人は人に慣れていくという事です。いじわるな人は年を重ねてもいじわるであり、おせっかいな人は年を重ねてもあまり変わりません。そうすると、人はそれなりに相手に合わせて付き合うようになっていきます。とすると、私の様に負けん気の強い、正義を振りかざすような人も、性格は変わらないということを周りが諦めてくれるわけです。それが、良いことなのか、そうでないのか・・その答えは出ないと思います。そうであるなら、私は、私の信じる道を歩みたいと思ったのです。

 様々な社会問題の中でも、寺院離れという言い方をされていますが、離れる要因は幾つもあると思います。寺院離れの根底にある問題は、寺院の敷居の高さ。これは、寺院という日常関わりない場所であること、けれども、人生の最後を委ねる重要な場所であるはずなのに、「死」があまりに遠い存在のため、その時が来て慌て、様々なことを考える期間が短いことで、後になって問題が生じているように思います。問題解決にはどうすればよいのか・・そう簡単には解決できません。

 その昔、寺院は地域の重要な場所でした。けれども、政教分離によって、行政と関わることがタブーとなりました。仏教やキリスト教などの宗教は、歴史上の人物として教科書に載っていますが、深堀されることはありません。という事は、学校教育では、当たり前ですが、寺院との関わりを教えることはありません。では、だれが寺院との関わりを教えてくれるのでしょう。寺院離れの大きな要因は、核家族化したことによる社会の仕組みが変わったことです。一族という概念、それに伴う継承ということが、全くされない時代となりました。現在、夫婦別姓について議論されていますが、議論しなければならない根底は、日本人としての継承をどのように考えていくのかという事だと思っています。

 そのような中で、全く、何も分からない方々と、お葬儀についてお話したり、墓地についてお話する機会に立ち会う機会に思うことがあります。何も知らない状態で住職と話をすると威圧的に感じてしまっているのではないかしら・・と。その感じ方は、寺院側の取り組みではなく、相手が何も分からない・・という不安感から起こるもので、そのような心境であるにも関わらず、言葉の厳しい住職さんとお話をしたら、寺院から心が離れてしまいます。私が話しやすいということではありません。女性の方が話やすのではないかと。今までの経験が役に立つのではないかと。寺院についての継承がなくなってしまった今日だからこそ、窓口に寺院を良く知る人が立つことは不自然なことではないと思いました。

 私の今現在の能力の中で、批判覚悟で、仕事として請け負うことは、現代社会に合ったものではないかと思っています。どれほどの需要があるのか未知ですが、丁寧にお話をお聞きして、最善の方法を模索していきたいと思っています。お気軽にというわけにいきませんが、本当にお困りの事がありましたら、ご相談いただきたいと思います。

 

 

寺に住まうということ

終活

2025-11-04
 ここ数年、終活という言葉を聞く機会が増えましたが、私は、終活という言葉に騙されているようで、人生を終える私自身の終わるための活動とは?なんだろう・・と考えてしまします。

 終活という言葉に騙される・・という意味は、あたかも自分自身で人生を終えることが出来るような錯覚を起こさせるからです。私が死んだら・・多くの人の手に委ねられます。病院に入っていれば、医者、看護師、葬儀会社、夫や子供、兄弟など・・天涯孤独であったとしても、管轄区の市町村の住民課の職員など、誰の手も煩わせずに、生涯を終えることはできません。

 物に溢れた時代に生きていることも現実ですから、片付けるという意識を持つことは大切だと思います。けれども、終活にエンディングノートを残し、特に母親が、縁あって生きている間は、お父さんと離婚はしなかったけれど、死んでまでも一緒にいたくない・・散骨でも樹木葬でもいいから別に埋葬してほしい・・などと書かれていたら・・

 確かにそうだ・・お母さんはわがままだったお父さんの面倒をみて苦労していた・・お母さんの望みを聞いてあげなければ・・そう思う人が多いように思います。このような状況を、想像してエンディングノートを制作している方は、多くないと思います。自分の気持ちをノートに残す・・それが目的ではないかと思います。

 死に行く自分・・の事ではなく、生きている人の気持ちや、状況を想像する必要もあると思います。残された家族が、エンディングノートに書かれていることを思うようにできなかった時、陥るのは、骨壺を家に置いておくという選択をすることです。人によっては、気にならない‥と言う人もいますが、いつまで骨壺が家にあるという事を悩まれる方もいらっしゃいます。悩む種を残すことにならないよう・・考えることが大切だと感じます。



両大師会準備

2025-11-02
8月が来る年末まで、行事のパレード・・
明日は、両大師会(伝教大師最澄さまと、天台大師さま)に報恩感謝をささげる、行事の中でも一番大きな行事があります。この法要は、檀家さんが対象ですから、檀家さん以外の方が参列することはありません。

行事が多いことで、お問い合わせも多いのですが、10月12日に「不二の祈り」という千日回峰行者上原阿闍梨様にしていただいたご祈祷は、ポスターやSNSなので広告させていただきました。広告をご覧になられた方から、「檀家ではありませんが、よろしのでしょうか・・」と。お電話でそのように質問される方がいらっしゃいました。

観光地で有名な寺院は、そのような疑問を持たれることはないと思いますが、有名ではない寺院は、檀家でないとお参りすることをためらう傾向にあるようです。けれども、広告宣伝をしているということは、一般の方の参加をお待ちしているわけです。ご興味のある方は、ぜひ参加していただきたいと思います。

そのように考えますと、神社も同じなのかしら?と思いますと、案外、神社は、氏子・・という概念が薄いのでしょうか、広く一般に手を合わせている方が多いように思います。

お寺に来られる日本人で、柏手をする方が多いことも、なんとも不思議ですが、少しずつ柏手をされる方が減ってきているように感じます。時代によって、人も風習も変化しているようです。多様化、多様化と言いますが、案外昔から、本質的なことは変わっていないのかもしれない・・と感じます。

毎日新鮮なことばかり

2025-10-24
 住職・・という名前に興味を持つ人は少ないこもしれません。その昔は、住まう所を確保することが大変な時代、小僧さんになると、衣食住を賄うことができまし、読み書きを覚えることもできましたので、兄弟が多い場合、お寺に預けられた・・と聞いたことはないでしょうか。

 宗派によって異なりますが、明治になるとほとんどの宗派が妻帯(結婚)を許されました。結婚しますと子供も生まれます。お坊さんのお仕事以外に子育て・・当時は、妻と子供を養うという責任が加わりました。お坊さんにとっても、奥さんにとっても、何かと不自由を感じることになります。

 人の営みにとって、衣食住は何よりも重要なことですが、では、衣食住が事足りていたならば、それ以外の様々な不自由は大したことではなく、衣食住以外のことを望むことは知足なのかしら・・と。けれども、些細なことも含めて、ある程度の程よい生活に必要な安らぎが必要ではないかと思います。

 けれども、寺院という場所に程よい安らぎを求めることは難しく、人と人との繋がりは良い意味でも、逆の場合でも、気遣いが大切な日々の生活を意識しますと、緊張感が勝ります。時を重ねること・・継続していく重要性は、慣れる・・という習慣を生んでくれています。また、時代の変化もあり、25年前に比べましたら、近所、親戚、檀家さんとの距離間は、以前のようではありません。それは、よい場合と、その逆の場合があります。結局のところ、何が良くて、何が良くないことなのか・・誰にわからないということのようです。

 多様化した時代だからこそ、距離を縮めて寄り添う必要があるように思いますし、時には、意識的に距離感をもつことが必要うな時もあると思います。一日たりとも、同じ日はなく、寺院という場所に住まうからこその、新鮮な体験をさせていただいています。世の中は知らないことばかりだな・・と感じることが毎日です。

紹介ページ

概要・料金体系など

面と向かって話やすいことでもないので、まずは対面ではなく、メールのやり取りにて(5回まで5000円)
何でも聞いてください
段階を追ってオンライン、面談なども可能です。

プロフィール

プロフィール

鷹野 眞実子
寺庭婦人
華道いけばな池坊 華督
(華道歴25年)
表千家講師
(茶道歴20年)
精神対話士
(対話士歴13年)
生涯学習コーディネーター
(取得中)

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