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和手ぬぐい

結子と手ぬぐい

 結子が法人登録をすることとなったは、どうしても日本手ぬぐいを作らなければ・・と思ったからです。また、手ぬぐいが完成するまでには、様々な不思議な出会いがありました。なぜ、日本手ぬぐいを・・と思わずににいられなかったのか・・今だから・・と思うことばかりです。
 
 富士山の稜線を美しく見ることのできる忍野村は、富士山の伏流水が湧き出す池が無数にあることでも有名です。日本の名水100選にも選ばれています。富士山が世界文化遺産に登録されたとき、構成資産として忍野八海が登録されました。構成資産に選ばれた最大の理由は、信仰の池として象徴する石碑や様々な文書が残っていたからです。
 
 忍野村は、1200年以上前から、富士山と信仰の霊場として修験道や山伏といった人々にとって特別な場所でした。と・・熱く語っても、興味を示してくださる方はごく少数です。また、富士山や忍野村を紹介する村の体制も、意欲的に信仰の霊場であったことを伝える機会は少ないことも残念ですが現実です。そのため、忍野村の名を知る人は、富士山が美しく自然豊かな村であるということで完結してしまうことは、村の魅力の半分ほどしか紹介できていないことを残念に思います。
 
 富士山は、自然遺産登録ではなく文化遺産登録を目指し、信仰の対象と芸術の源泉として世界遺産登録がされました。忍野八海は、大寄友右衛門という『市川三郷町(旧市川大門)長百姓』が、天保の飢饉によって離散寸前まで追い込まれた忍野村の救済をしてくださったという歴史があります。けれども、多くの人々からその記憶は消えていました。富士山世界文化遺産の構成資産となることによって、天保の時代に忍野村では何が起こっていたのか・・様々な歴史を見直す良いチャンスだと思っていました。けれども、期待したほどの動きはありませんでした。
 
 村存亡の危機という一大事が起こり、救世主が表れて壊滅的な状態だった村を救ってくれた方の名前は、ほぼ忘れられてしまいました。江戸時代後期の出来事です。明治維新に向かって日本が大きく変わろうとしていましたし、第二次世界大戦によって敗戦・・昔を振り返る余裕はなかったことも理解できないわけではありません。仕方がないことなのかもしれませんが、人の記憶の曖昧さを感じずにはいられませんでした。どうすれば、村の歴史を残すことができるのだろう・・そうしてたどり着いたものが日本手ぬぐいだったのです。
アーティフィシャルフラワー
と和雑貨 結子
〒401-0511
山梨県南都留郡忍野村忍草37
TEL.0555-84-4107

 
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