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心だより

2024年2月

繋がって行く

2024-02-13
どのような事も、縁あることに繋がってくのだと感じる。繋がるのは、未来なのだから、今考えて行動していることが、正しいかどうかは誰にも分からない。

明日は誰にも分からないのだけれど、誰かのために生きようとしている人と、自分のために生きる人、この考え方もどちらが良いということではなく、その生き方が未来の自分の道を作っているのだ感じる。

今、私が考えている支離滅裂な考えは、いつかまとまる日がくるのか・・かなり不安はある。けれど、繋がって行く先に見えてくるものは、私が描く未来の小さな礎となっているように思う。

富士山という雄大な自然に囲まれて生活をさせていただいている、IAがどれほど有能だとしても、自然には到底かなわない。そんな自然に多くの人が触れられる場所を・・そんなことを思っている。



明日への一歩

2024-02-09
ご縁・・だけで(そう言ってしまうと、神様?仏様?に叱られそうですが・・)先は全く見えていない状況下で、ただ前だけを見て未来に歩んでいることに、不安を感じないわけではない「八海音頭」の普及促進活動をしている「おしのエイポンズ」。私を前に進ませる原動力は、明日を信じて必死に生きていたら、きっと未来は明るいはずだ・・という、なんの根拠もない、けれども、そう信じる馬鹿な人もいていいんじゃない・・という、やっぱり大馬鹿な生き方しかできない自分が、時に嫌になる。

もう少し、お利巧さんだったらよかったのに・・と思ってみたり、でも、お利巧さんだったらこんな生き方をするはずもなく。やっぱり、世の中には、私のような人もいないと面白くないのかも・・と、自分で自分を慰めてみたり。忙しい毎日。

今日は、第2回「八海音頭ワークショップ」に少しでも人が集まるように・・そんな気持ちからある人を訪ねた。何事もすぐに結果が出るわけではない。いつか、今日という一歩が明日という未来に繋がってくれたら・・そう願っている。




次代の担い手と富士山の未来を考える

2024-02-08
 山梨県主催の「次代の担い手と富士山の未来を考える」トークイベントに参加した。「次代の担い手・・」という言葉にとても興味を持ったが、基本的に富士山が文化遺産として公で学ぶ機会があるのかを思うと、ほとんどないのだから議論は深まらなくて当然だった。

 山梨県知事の富士山鉄道構想の説明は分かりやすかった。反対意見があることは知っているので、反対意見がある場合は、現実可能な代案が必要だと感じた。鉄道構想と代案について議論を深めることが必要だと感じたが、反対を唱えればどうにかなるだろう・・という考えが見え隠れしていることに疑問を感じる。

 そもそも論になってしまうが、富士山5合目は標高2300メートル。2000メートル級の山を検索していただくと、2000メートル以上の山に、車が登っていくことのできる道路があるかどうか・・という議論が必要だと感じた。5合目までバスが悠々すれ違うことのできる道路を通してしまったことに、一度目を向けるべきだと思う。作ってしまったものを元に戻すという議論ではない。2000メートルの標高に道路があることは、普通なことではない・・という認識から、今後の景観や火山対策、登山者の制限などを議論すると、何らかの答えが導き出せるのではないかと感じた。

 富士山は世界文化遺産である。様々な問題の中に、文化遺産として富士山の学びの場が少なく、以前から言われているが自然遺産と勘違いしている人が多い。

 世界遺産についての学びも少ないように思う。私は、娘が小学校5年生の時に初めて海外旅行をした。主人と検討した結果、アンコールワットになった。アンコールワットの寺院群も素晴らしかったが、カンボジアの人々は、土・日曜日は、遺跡を見ながら休日を過ごしているということを聞き、遺跡が生活に溶け込んでいる豊かな心に驚いたことを鮮明に思い出す。娘が20歳になるとき、お祝いにイタリアへ行った。世界遺産と言われる場所をいくつか巡ったが、どの場所も素晴らしかった。富士山世界文化遺産と言われながら、富士山が雄大で美しく、自然豊かな日本の風土に助けられ胡坐をかいていていいのだろうか・・と不安を感じる。

 人の生活に欠かすことのできない水・・富士山麓に住まう人々は、富士山によって蓄えられた豊富な美味しい水を日常生活水として利用させてもらっている。科学や自然についても解明されている現代に生きながら、学ぶ機会は少ない。自然と文化について、もっと学びの場を増やさなければいけないと感じた。

「次代の担い手・・」に必要なことは、まず、学びの場。次に、学びを踏まえて議論することだと感じた。今日はとても充実した時間だった。




反省会

2024-02-05
 伝統文化親子教室事業は、役員、保護者のご協力のお陰で運営できている。先月、最後のお教室を終えた。来年度に向かって反省会もかねて、ランチ会を予定した。

 昨晩から雪の予報だった。お店を予約するとき、どこが良いのか考えた末、山中湖のお店に決めた。予約したときには雪の予報などなかった。偶然に、山中湖のお店でよかった。午前11時30分、かなり本格的に雪が降ってきた。

 忍野村より標高の高い山中湖は、忍野村より雪も多い。温暖化の影響で、暖冬が続いている。今年、山中湖は薄氷が張る程度だったようだ。50年前は、山中湖は全面結氷し、山中湖の氷上をトラックが走っていたと聞く。

 ランチを食べている間に見る見る雪は積もっていった。雪の降る中、このような機会でもなければ、食事することはない。幻想的な風景を眺めながら、様々な話に花が咲いた。

 ランチが終わるころに、学校からお迎えをお願いするメールが来た。一瞬で現実に引き戻されたが、ランチタイムの時間だけ、特別な時間を過ごすことが出来たように思う。時には、そんな時間も必要だと感じる。



節分

2024-02-03
 今日は節分。旧暦の大晦日・・忍野村に嫁ぎ一番混乱した記憶のある節分と大晦日。

 近所に小さな商店があった。商店の店主はさくらちゃん(仮名)。店主の名前を初めて聞いた時、勝手に年齢を想像して30代ぐらいに思った。ところが・・さくらちゃんは当時70歳のおばあちゃんだった。まず、名前から想像した人のギャップに錯乱した。

 さくらちゃんのお店は、近所のおばさま方のお茶のみ場として、店の奥に居間があり、そこでお茶飲み話が繰り広げられた。今では標準語を話す人が多くなったが、当時は土着の言葉が飛び交い、何を話しているのかさっぱり分からず、何度も聞き返して話していることを理解しようとした。そんな私の質問に、おばさま方は嫌がらず答えてくれた。

 嫁いだ時には、義母は他界していたので近所のおばさま方から風習を聞き覚えるという作業が日課だった。大晦日の数日前にお店にいくと、「おめえ、イワシは買ったか?」と聞かれ、「イワシ??」と聞きなおすと、「大晦日にイワシを食べるんだよ・・」と。「年越しそばは?いつ食べるのかな?そばとイワシ合わないよな・・ニシンならきいたことあるけど・・」と思いながらも、忍野村はイワシを食べるんだな・・と思い、お店でイワシを購入し31日の晩御飯のおかずに・・

 しかし・・そういうものか・・と思いながら数年過ぎたころ、旧暦の大晦日に食べていたイワシを12月31日に食べるという混乱した状況になったようで、ただ、混乱しているのは私だけ??だったのかも。

 節分が来るたびに思い出す、さくらちゃんの居間でのお茶飲み話。そこでお話していた方も、一人また一人と旅立っていかれた。現在、商店もなくなってしまった。今年も節分を過ぎ、また年を重ねている。




2024年1月

忍野幼稚園

2024-01-29
コロナ禍ではできなかった茶道体験。今日は、忍野村幼稚園の年長さんが親御さんにお茶を点てる体験と、点てたお茶を親御さんにお出するという体験のお手伝いをさせていただいた。秋に一度だけ、茶筅でお茶を点てること、お茶をお友達に運ぶということを体験している。子供の記憶は一度の体験を覚えている。

幼い時覚えた経験は記憶に刻まれる。伝統文化に触れる機会のある子供は幸せだと思う。けれども反面、ユーチューブ動画やTikTokなど、個々に興味ある画像が、次から次へ目に飛び込んできている状況を思うと、影響の深刻さを考える。

社会の仕組みの変化は、私たちにはどうすることもできない。けれども、私たちが心掛けて情緒的な教育環境を整える努力が必要だと、純粋に茶道を楽しむ子供を見て痛感する。貴重な経験をさせていただいた。






初不動

2024-01-28
仏様には縁日がある。その仏様の縁日にお参りをするとご利益が大きくいただけると言われている。8日は薬師如来(手に薬壺を持っている仏様)のご縁日。15日は阿弥陀如来のご縁日。18日は観音様ご縁日。24日はお地蔵様のご縁日。28日は、不動尊のご縁日。

毎年、1月28日は、「交通安全祈願祭」をしている。富士吉田市管内の交通安全をお祈りしているので、富士吉田警察署、富士吉田安全協会、忍野村安全協会の役員さんがお参りに来てくださっている。

自家用車が一般的に普及した40年代、車の台数に比例して交通死亡事故が多発した。そこで、当時の安全協会の方が、初不動尊祭で交通安全祈願をすることなったと聞いている。それから50年以上、毎年護摩を焚いて祈りを捧げている。

かなり長い期間、交通事故は起こっていませんでしたが、数年前とても悲しい交通事故が起こり尊い命が失われました。交通事故は、だれにとっても悲しみしか残る。

今日という日は、ただ一心に不幸な事故が起こらないよう、お守りいただけるよう祈っている。




貴重な経験

2024-01-26
 父は天理教の教会長をしている。父の母親(私にとって祖母)が、隣のおばさんが楽しそうに出かけていく天理教の教会はどんなところだろう・・と、そんなきっかけから教会に行くようになったと聞く。父は商業高校を卒業し、証券会社に就職した。高度成長期の真っただ中、良い時代という反面、心が蝕まれていく感覚に陥ったそうだ。そんな時、当時の会長(前会長さん)が、天理は良い所だから、遊びに行っておいでと「修養科」を勧めてくれたそうだ。そこで、見聞きした話にすっかり魅了されたと聞いている。

 母は、代々続く天理教の信者の娘。母の父親(私にとって祖父)は、天理教の信者でもあったが神主のようなこともしていた。母は中学3年生で母親を癌で亡くした。末っ子だった母に、母の叔父が天理高校を勧めた。地元の高校も合格していたが、末っ子だった母は、兄嫁に気を使うのも・・と考え天理高校へ・・高校卒業後、天理教を深く学ぶために現在の専修科に入り、父と出会ったそうだ。

 純粋に目に見えない神様・・と向き合う両親を持つ子供は、なかなか苦労することになる。統一教会などの2世問題について、私なりに思うことはたくさんある。親がいなければ子は育たない。けれども、人の価値観は、親子といえども全く違う。親は、自分の価値観を子供に押し付けているなどと疑うことなく、自分の価値を共有させている。

 私自身、親の人生観と自分の人生観が全く違うことを認識し、言葉で説明できるようになったのは、40歳を過ぎた頃だった。どこで強く感じたのかと言えば、娘との親子関係だったように思う。私と両親との関係を振り返る時、当時の時代背景も深く関わっているように思った。私との親子関係は娘が言うほど窮屈なものではなかったように思っていた。けれども、私の両親は極端に純粋に宗教を信仰していたのだから、一般的な家庭環境ではなかった。どちらかというと一般的な家庭で育ち、情報社会となった時代に育った娘の社会状況は全く違うことを想像すると、戸惑いが大きかったことを理解できる。

 しかし・・いかに日本の教育が心の教育を疎かにしてきたのかを感じる。これからの時代は、人と人が競争するのではなく、AI人工知能との戦になるのではないかと思う。AIに勝るためには、豊かな心と柔軟な発想が重要だと言われている。個性を磨くことは、感性が磨かれることになり、人としての魅力は唯一無二となる。けれども、その部分が育たなければ、人としての価値は危ぶまれるように思う。今後の大きな課題だろうと感じる。

 父も80歳を迎え、世代交代を選択した。弟は父の後を継ぎ教会長になることを決めた。弟の気持ちを正確に理解することは難しいが、弟なりに思うことがあり心を決めたのだろう。私は、責任役員となり弟を支えることを決めた。

 今日は、天理教の春季大祭。弟は教会長の任命を受ける儀式に臨んだ。父と私は、そのお供をさせてもらった。とても貴重な経験だった。そこから感じることは、責任の重さだ。心という目に見えないものを扱う宗教。なぜか、社会からは遠い存在に思われている。けれども、社会のすべては人の心が決めている。心を深め、豊かにすることが、人生の彩を鮮やかにしてくれる。そんなことを痛感した一日だった。



東京花展

2024-01-24
 コロナが5類となり、今年は全国各地で、池坊の様々な花展が開催されることになっている。今日は、銀座伊勢丹にて花展が開催された。お友達からご招待券を頂戴した。久しぶりに銀座へ出かけた。

 素敵な作品が並んでいた。学んでいるからこそ分かる世界がある。伝統の花形であれば、花器と花器の格により取り合わせる植物が決まってくる。菊一つとっても、色や形によって雰囲気が変わる。ただ・・きれいに取り合わせればいいと言ことではない。

 色とりどりの草木、形や色から取り合わせる難しさは、学びを深めるほど悩みが増えるように思う。一つ一つの作品に作者の悩みや、仕上がった時の安堵感や達成感など、作品を見ながら、作者の思いに思いを馳せて作品を拝見すると、一層心が和む。

 とても有意義な時間だった。知人の作品が素晴らしく、一歩でも知人に近づけるよう精進しなくては・・



荒神様

2024-01-21
 一般的には三宝荒神といい、忍野村では荒神様と言っている。1月、小正月の頃から、頼まれた家を回って古い語弊を新しい語弊に交換するという風習も残っている。これを荒神払いと言っている。

 ここで詳しく説明しなくても興味のある方は、検索していていただくと、とても丁寧に説明されている。忍野村では昔ながらの風習なので、地元の方が荒神様に興味をもって検索しているかどうかは分からない。けれども、その意味を知ると、先祖代々続いている風習の奥の深さを分かっていただけると思うときがある。

 伝統の継承を考えるとき、昔からの風習という概念から一歩前進して、ご先祖様がなぜ、神や仏に敬意を払っていたのかを知ることが、次世代に繋げていく原動力になるのではないか・・と感じるときがある。

 祈り・・は、自然に対する畏敬の念だと思う。便利な時代になり、なんでも人間が作りだすことが出来ると勘違いしてしまっている。けれども、空気も水も、すべて自然の循環によって生まれている。

 時々立ち止まって、自然の恩恵について考えを巡らすと、自然に身を任せる事しかできなかった昔の人々の思いが、少しは理解できるようになるかもしれない。



2023年8月

2022年11月

2022年1月

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