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心だより

2020年5月

ブログの名前を心だよりに・・

2020-05-10
 数年前にあるメンタルケアの資格を取得しました。何事も組織というのは、時に大きな傘となり、時にその傘に合わせて行動範囲の制約が出てきます。どのようなことでも名前を出すことによって、ややこしいことが起こりますので、資格の名前は伏せることにします。伏せるほどメジャーではありませんが・・
 
 活動の一環という表現は正しくないかもしれませんが、ある支援活動を試みています。毎回、施設に伺うたびに、施設長の話からは胸をえぐられるような痛みを覚えます。
 
 親による暴力や性的虐待・・・このような状態の子供たちを目の前にしたとき、「普通は・・」とい言葉を聞くたびに、「普通の生活が送れたていたら施設になどこないだろう・・」と思うそうです。そこに従事する方々は、渇き切った心をただ受け止めること。渇いた心に、いくら愛情を・・と押し付けても湿らすこともできない・・と。無言の対話が必要なのだと・・
 
 「無言の対話・・」は何よりも難しいことです。愛情というのは、感情が高ぶり篤くなるものです。親子でも恋人でも相手を思えば思うほど、篤くなってしまうものです。逆に、冷めた目で達観したり、見て見ぬふりをするためには、意識的に見ない努力が必要です。見たくないものを見ないことはある意味、自信の心のバランスを保つための防御術だと思います。けれども、「無言の対話・・」はこの論理からすると、めちゃくちゃに矛盾することになります。
 
 無言で対話をするということは、思い続け、目を逸らすことなく見続けなければいけません。けれども、そうした行いは相手を思えば思うほど、対話をしたくなります。ところが・・渇いた心に必要なことは、助けの手を差し伸べられたら、その瞬間に手をつかみかえさなければなりません。「無言の対話」というたった一言に、施設長の苦悩やジレンマを感じずにはいられませでした。
 
 支援の試みを長期に継続するために、また、少しでも多くの子に援助できれば・・・と思い組織的な活動をできないだろうかとみんなで話会いました。その話を聞いた施設長からは、また、目から鱗が落ちる言葉をかけられました。
 
 「今の時代、何か困っていることを話せば、話す相手によっては様々な協力をしてくれる。けれど、見も知らい人ではなく顔を見て話をしたおばちゃんやおじちゃんが、僕・私を思ってくれていることが伝わればいいんです。品物ではなく心を届けてあげたい・・」と。そんな施設長の思いから、その活動は「心だより」となりました。「元気にしてる?」「ご飯は食べてる?」というように何気ない言葉をかけてあげられる関係を作っていくこと・・それが、砂漠化した心にオアシスを作っていく方法であること。また、オアシスは作ってあげるのではなく自らが作る気にならなければ誰もつくることはできない・・と。
 
 そのような精神状態や状況は、特別な環境で育ったからではなく、悩みを抱えている人に対しては同じであると感じました。縁を大切に思う私としては、このブログが、私が出会う様々な方の視点から見た情景をお伝えすることにより、よりよく生きるためのヒントになったら・・と思っています。そんな思いを込めてブログの名前を「心だより」とさせていただきます。
 
 施設長がコロナウィル感染拡大防止の対策によって何よりも危惧しているのは、メンタルケアは今必要だと思う・・そんな言葉も印象的でした。
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