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心だより

2021年 1月

伝統行事

2021-01-20
 忍野村には、様々な伝統行事が残っています。伝統行事で代表的なものは、道祖神祭です。年が明けると、育成会長さんを中心に、地域の子供たちが集い、竹に飾る色紙を切ったりします。準備ができるころ、中学2年生の男の子を中心に子供たちは一軒一軒家を回ります。「福の神が舞い込んだ」この掛け声を聞きますと、お正月を迎えたことを実感します。けれども、今年は・・・コロナウイルス感染予防のため、子供も大人も集まる・・という活動ができません。福の神の掛け声も聞くことができませんでした。

 小正月が終わりますと、忍草地域の旧家では山の神という一族の守り神の集まりがあります。一族によって日程は違いますが、20日前後に一族の山の神に一年の無病息災をお願いする儀式があります。一族の代表の男の子が、その年の鬼門に向かって矢を射ます。弓は手作りです。昔は子供たち自身が作ったと聞きます。弓は梅の枝で・・矢は真竹に色紙の羽を付けます。矢は4本・・2本は山の神の祠の前にさします。残り2本を射るようです。掛け声があります。「ヤックルヤノヤー」と。掛け声の意味は分かりません。

 私には孫がおりますが、男の子が二人・・・じーじ手作りの弓と矢を持ち、学校や幼稚園に行く前に、じーじとパパ、二人の孫は弓と矢を持ち山の神に行きました。昨年、数十年ぶりに弓矢の儀式が復活しました。外はマイナス10℃・・家に帰ってきた孫のまつ毛が白く凍っていました。

 タイムスリップしたような儀式が終わりました。昨年から1年間弓矢を射ることを遊びにしていた孫たちは、とても上手に矢を射ることができてご満悦でした。小学生の孫は、ささっと朝食を済ませ、まだ気温はマイナスの中、学校に向かいました。

 女性たちは、お供えをもって山の神にお参りします。時間などに決まりはありませんが、一族の女性だけで無病策債を祈ります。男性と女性に役目が決められているのも昔の儀式であることを意識します。

 大人も子供も自然とともに生きていることを、日々の何気ない生活の中で学んでいるように思います。自然豊かな生活の中に、ゲーム機やYouTubeなども身近に置き・・世代間ギャップを激しく感じます。何が正しく間違っているのか・・個々の価値観を身に着ける難しさを日々感じます。


新年あけましておめでとうございます

2021-01-08
 年が明けて、尽日も過ぎてしました。9月を最後にブログを更新できずにおりました。この3か月息をつく間もなく全力で駆け抜けたように思います。そんな日々が過ぎ、少しずつ日常を取り戻してきました。

 3か月という短期間でしたが、叔母の人生を預かるという重責は想像以上でした。人生を預かる・・ということを意識してから、優先順位は叔母になったように思います。その選択が正しいかどうか・・何が正しいということは誰に決められるものではありませんが、この経験は私にとって、また、家族にとってもかけがえのないものであるということは確証しています。

 人生を預かる・・という重い表現は、叔母の年齢を慮ったからだと思います。人生100年時代ですが、人の寿命を知ることはできません。明日、私自身も何が起こるか分からないと思うとき、後悔のない選択をしたいと思いました。叔母の人生の道筋を・・完璧な選択などできないことを知りながら、叔母に寄り添い何がベストであるか探る月日を過ごしました。

 12月半ば・・叔母が住む家は出来上がりました。引っ越しをすること、また、生活ができるように住まいを整えることは年齢的に難しことです。年末が迫っていましたし、コロナの影響で、年末に花道の授業を受けなければならず、切羽詰まった状況の中、体調を崩すことなく、予定通り過ごせたことは奇跡でした。

 コロナ禍によって様々な行事は縮小されましたが、例年通り粛々と年末行事は終わりました。けれども、何よりも違うと感じるのは、新しい年を迎えた・・おめでとう・・と素直な気持ちになれない自分がいることです。

 元旦・・お年始に来られる方に改まった気持ちをお伝えしたくて、例年はお着物でお迎えさせていただいていました。けれども今年は、華やかさを気まずく感じましたので、少しだけ普段とは違う装いにする程度にしました。何かが大きく変化したわけではありませんが、昨年までの感覚とは全く違う社会の変化に、戸惑いながら受け入れ混ざりあう感覚は、気持ち良いものではないと改めて感じます。

 混沌とした歳月がいつまで続くのか・・誰も推測できませんが、私の今年の目標は、縁あった人々と心穏やかにお互いを労りあいながら優しい気持ちで繋がっていくことを意識することです。今できることを一つ一つ丁寧に仕上げていくこと・・牛歩で邁進してまいります。何卒、本年もよろしくお願いいたします。




2020年9月

コロナウィルスによって・・

2020-09-19
 今日は、地域の秋祭りの日です。その昔、日本中お祭り・・と言えば、男女の出会いの場だったそうです。女性はきれいに着飾り好みの男性に声をかけてもらえるように装ったそうです。
 
 そんなお祭りも戦後は少しずつ縮小傾向になり、現代に継承されずなくなってしまった所もあると思います。けれども、忍野村には古くからのしきたりが現在に継承されています。
 
 春と秋のお祭りがありますが、秋のお祭りの方が盛大です。このような時だからこそ、盛大なお祭りをして神々に喜んでもらいたい・・と原始的な感覚を持っている自分が不思議ですが、科学的に、また人の行動を分析しますと、到底秋祭り開催は難しいことは理解できます。
 
 まず、お酒を飲みます。神輿を担ぐとどうしても気分は高揚してしまいます。密集しなければ担げませんし、大きな掛け声をかけます。感染リスクが高くなります。
 
 気持ちだけは、一日も早く終息してくれるよう神様に祈りを捧げ、来年の今日は、心込めて秋祭りの様々な準備をさせていただくことを誓いながら、心にぽっかり穴が開いたような・・そんな気分で今日の日を迎えました。
 
 

49日忌・・

2020-09-17
 初七日・二七日・三七日・四七日・五七日・六七日・七七忌となり、叔父の正式な七七忌は29日ですが、家族の都合から今日49日忌の法要が行われました。昨日運んでいただいた荷物は、今朝9時30分に私の自宅に届きました。
 
 本当に目が回るほどの忙しさですが、叔母も頑張ってくれています。叔母にとっても、私にとっても、コロナウィルによって人生の中でも大きな節目を生きているようです。
 
 私も様々な人生の節目を生きながら思うことは、こうした方がいいだろうな・・と思ったことは自分の直感を信じて行動する大切さです。自分の直感を信じることは簡単にできるわけありません。思うこと・・ひらめくこと・・は誰にでもあると思いますが、その次に起こる感情が、他者と比較したり、現実的に行動に移すことが難しい状況だったりすると諦めてしまうことも多いように思います。けれども、何事もタイミングが大切です。タイミングをはずれてしまうと、思うような結果が出ないこともあるように思います。その絶妙なタイミングが直感なのだと思います。
 
 1年前の叔父の入院・・コロナウィルスによってこれ以上一人で生活するのは難しいと思ったこと・・叔父が亡くなったこと・・家族の負担を考えると、叔母と暮らすことはベストとは言えないと思い迷ったこと・・けれども、叔母と一緒に暮らすことによって、叔母の物忘れは初期・・とは言えないほど進行してるように見えます。様々なタイミングを経て今日という日を迎えて、感慨深く思います。
 
 

お引越し・・

2020-09-16
 叔母は、33年間・・住み慣れた家とお別れする日が来ました。整理しながら引っ越しの準備をするには時間が足りません。また、いらないものを処分するにも、処分するものによっては費用が掛かります。そこで、引っ越し業者にすべてお任せするコースを選びました。荷造りしてくださる様子を見ながら、業者さんに任せなければ、到底終わることができない・・そう思いました。
 
 一つ手に取れば、これはいるものかしら?いらないものかしら?と迷ってしまうでしょう。その迷う時間が膨大な時間になっていたと思うと、お願いして良かった・・と。
 
 叔母はなぜか?引っ越しを手伝う様子はありません。また、近所に民生委員さんがいらして、その方は、急に決まった叔母の引っ越しを親しかった人に知らせてくださり、短い時間でしたが、お別れのあいさつをさせていただくことができました。叔母自身は、お別れのあいさつをすようなことは避けたかったようですが、お別れに来てくださった方々は、口々に会えて良かった・・と言ってくださっていました。
 
 人の気持ちは面白いと思いました。ある方が言っておられました。私も自分が引っ越すのなら、お別れのあいさつなどせずに静かに去りたい・・と。けれども、もしあなたとお別れのあいさつができなかったから、心残りだったと思うのよ・・本当に会えて良かった・・と。
 
 あまり別れをしたくなかった叔母ですが、皆さんから別れを惜しむ言葉をかけられると、案外嬉しいようでした。また、人の気持ちの不思議さを感じました。今日も一つ・・大きな仕事が終わり安堵しています。
 
 

1か月・・

2020-09-12
 叔父が亡くなって1か月が過ぎました。結子という会社をどのように運営することで社会に貢献できるのだろうと模索している最中の叔父の死・・今すべきことは、叔母がどのように人生を終えていくのか・・その準備を手伝うこと・・。それを最優先にしようと考えています。
 
 人生を終わらせる・・と言葉にすると簡単に聞こえてしまうかもしれませんが、人生の終わりがいつやってくるのか分からない中・・・また、老化によって判断能力が低下してくるのですから、計画して人生を終わらせるのは難しいことです。
 
 人生に終わりが来る・・ということを意識していない方も多いのではないでしょうか。特に一人で親戚付き合いなどない人はある日突然その日がやってきます。様々な形で、親戚に知らせが届くようですが、最近は孤独死した方の片づけを専門にされているお仕事もあるようで、そのような方々が部屋の片づけをしてくださいますが、故人の生きた証のようなものは残らないように感じます。
 
 今、この時代に生きた・・その生き方は様々だと思います。けれども、誰の人生もそこにはドラマがあったと思います。私は少しでも、叔母のドラマと寄り添いたいと思っています。何が正解なのか分からない・・また、いつ終わりが来るか分からない叔母の人生と繋がることは、楽なことではないと思いますが、私の人生に深みを持たせてくれるように思います。始まったばかり・・・です。
 
 

やっぱり神様・・

2020-09-09
 叔母の熱は下がりました。お昼ごろ、クリニックにお電話しようかな・・と思っていますと、先生から電話が入りました。様子はどうですか?と。今日は、休診日で往診しているから電話がつながらない・・・という理由で、先生からご連絡くださったのです。やっぱり神様だ・・と思い、いただいた抗生物質を飲み切ったころ、受診したいことを伝えますと、認知の検査もしましょうね・・と言ってくださいました。何気なく話した会話を覚えていてくださったことに感動しました。
 
 私が対応しきれない病状だったら、総合病院に紹介状を出してあげるから・・と。数々の安心できる言葉を淡々と言ってくださいます。私自身も家族も健康なため、病院へ行く機会が少ないこともありますが、これほどお医者様を心強い存在だと感じたことがなく、かかり付け医が決まり安堵しました。
 
 叔父が亡くなって早1か月・・弟を亡くした悲しみと、慣れない生活に叔母が疲れるのは当然のことだったと思います。けれども、感染症の厳しい状況下だったからこそ、頼りになるお医者さまとの出会いがあったように思います。仏様が見守ってくださっているのだと・・ありがたいことです。
 
 

2020年8月

叔父との別れ・・

2020-08-12
 それは突然のことでした。ちょうど一年前、体調を崩した叔父は、救急搬送されそのまま入院することになりました。叔父の様子から退院することは難しいと思っていましたが、8月12日、昼食を食べ終わったころ電話が鳴りました。「血圧が下がっていて、非常に厳しい状態です・・」と。「すぐに病院へ向かいます・・」と伝えますと「それまで持つかどうか・・」と。
 
 自宅から約1時間ほどの場所に入院しています。一時間もたない・・慌てて病院へ向かいました。玄関につくと、検温し面会名簿に名前を記入します。それほど長い距離を歩いたわけではありませんが、外気温は40℃、駐車場からマスクをして歩いたことで、37.2℃・・「体温はいつもお高いですか?」と聞かれましたが、37台を超えたことはありません。気持ちもあせっていますので、返答に困りながら、「もしかしたらマスクをしているからかもしれません‥」と答えると、「少しお休みいただき、また検温させていただきます。」と・・そうしていると電話が鳴りました。病院からです。「今どこにいらっしゃいますか?」と・・病院についていることを伝えると、待っています・・と。もしかしたら・・検温していただく時間がとても長く感じました。
 
 再度検温すると、36.6℃でした。即病室に向かうと、まだ目を閉じていない、けれども息を引き取った叔父がいました。苦しんだ様子がなかったので、少しだけ安堵しました。旅立ったのは、私たちが到着するころだったようです。先生は、私たちが叔父と会えた時間に死亡宣告をしてくださいました。明日からお盆です。一日違っていたら、叔父には寂しい思いをさせるところでした。叔父はきっと分かっていたのかもしれません。
 
 血のつながった親族とお別れするのは20年以上ぶりです。また、年を重ねてきたことで、若いころとは違った感情がわいていることが不思議でした。叔父の人生は幸せだったのだろうか・・そんなことを思いながら、安らかに眠る叔父の顔を、ただ見つめていました。
 
 

かわいそうなぞう・・

2020-08-10
 ブックカバーチャレンジ最終日は、戦争の絵本として外すことのできない「かわいそうなぞう」をご紹介します。小学校低学年の時に読んだ「かわいそうなぞう」は、戦争のむごさを子供心に強く意識する機会を与えてくれた本です。大人になって読み返しますと、飼育員さんの苦悩に胸が締め付けられました。絵本は子供だけの本ではないことを改めて感じます。
 
 75年という節目に・・というフレーズは新聞やニュースなどで耳にした方も多いと思いますが、世代交代という意味にでは、大きな岐路に立っていると思います。戦争を様々な角度から見られるように本を選んだつもりです。まだまだ紹介したりない気持ちもありますが、ブックカバーチャレンジという趣旨から離れた勝手なチャレンジにお付き合いくださった皆様ありがとうございました。
 
 今後も、素敵な絵本をご紹介させていただきます。人性というのは、良きことばかりでは生きていけないようです。そのようなときに助けてくれるのは、様々なメッセージの詰まった本だったり、人と人との交流だと思います。人にとって何よりも大切なことは、心がふっと軽くなったり、温かくなることだと思います。けれども、そのような心になるのは、名声やお金ではないように思います。
 
 誰かをおもんばかり、誰かに思われる人でありたいと思います。
 
 

タケノコごはん・・・

2020-08-09
 ブックカバーチャレンジ6日目は、「タケノコごはん」です。小学校の課題図書になっています。映画監督の息子さんが出版されたものです。あとがきに書かれていますが、小学校時代、宿題に戦争体験をされた親御さんに作文を書いてもらう・・という宿題がでたそうです。そこで、父親の大島渚さんに書いてもらったそうです。
 
 タケノコごはんの内容は、戦争によって大切な人の命が奪られる悲しみを日常生活から描いている淡々とした物語です。けれども、淡々としているからこそ、じわりじわりと心に悲しみが沁みてくるように感じます。
 
 私は、あとがきに書かれた息子さんの心情に心を打たれました。子としての未熟さ・・親を亡くして初めて知る親の偉大さ・・そうして、私たちは、大人になっていくのだということを感じます。
 
 大人になる・・ということは、年を重ねることばかりではなく、目に見えない大切なことを見えるようになるということではないかと思います。
 
 

おとうさんのちず・・

2020-08-08
 自己完結のブックカバーチャレンジ5日目にご紹介するのは、「おとうさんのちず」です。私がこの本を手に取ったのは10年以上前になると思います。色彩が美しく絵がとてもかわいいと思い購入しました。
 
 ブックカバーチャレンジをきっかけに戦争をテーマにした絵本について調べると、何冊か購入してあることが分かりました。基本的に本屋さんに行くと、購入の決め手は題名と表紙にインスピレーションを感じる・・が90%以上をしめ、そのようにして購入し、本を開くタイミングは、そういえば・・購入してあった・・という感じで、購入してから数年が過ぎたころ読む・・というパターンになっています。そんなわけで、今日ご紹介する絵本は、そんな過程で購入した一冊です。
 
 おとうさんのちずを少し紹介しますと、戦争によって家を失った家族は、戦争から逃れるために別の町に住むことになります。お父さんは、稼いだ少しのお金を持ってパンを買いに町に出かけます。ところが、帰ってきたおとうさんの手にパンはなく、大きな地図を持っていました。この地図は、パンを待っていた男の子にとってはおとうさんがなぜパンではなく地図を買ってきたのか全く理解できず怒っている姿に共感します。けれども、少しずつ心境が変わっていく描写がとても感慨深く、コロナ禍で苦しい日を思うとき、より良く生きるためのヒントがあるように思います。
 
 

さがしています・・・

2020-08-07
 ブックカバーチャレンジ4日目にご紹介したい本は、「さがしています」です。絵本というよりも・・という感じですが、戦争をテーマにしたとき、広島・長崎の原子爆弾に触れないわけにいきません。広島・長崎の原爆に関係する絵本は数多く出版されていると思いますが、原爆によって持ち主を失った被ばくした様々な物の写真が原爆の威力を感じさせますが、同時に、その物たちが持ち主をさがす内容の文章が添えられていて・・そこから、また想像が膨らんでいきます。あまり感じたことのない感覚に襲われます。
 
 本にはアンケートのハガキが入っていますが、この本のハガキには、あなたにとって幸せだと感じることは?と書かれていました。私が一番幸せに感じる瞬間は、お風呂に入るときです。きれいに清掃された湯舟には、たっぷりとお湯がちょうど良い温度で沸いています。水の心配もせず、自分だけのために蛇口をひねるとお湯が出てきて使いたい放題です。必要ないときには、水を止めなさい・・と教育されました。ある時、友人と合宿で一緒にお風呂に入りました。きちんと使わに時は蛇口をひねって止めている姿を見た時にはかっこいい・・と思いました。これぞジャパニーズクールだと・・・
 
 便利な世の中に慣れてしまい、昔祖父母が口癖にしていた「もったいない・・」という言葉。様々な資源は、無尽蔵にあるような錯覚がありますが限りあるものです。再度、生活を見直さなければ・・そんなことを考えさせられます。
 
 

2020年7月

アーティフィシャルフラワー「弔」作成の動機・・

2020-07-30
 アーティフィシャルフラワーと横文字を使いますと何となくおしゃれなイメージですか、日本語で言えば造花です。仏様にお供えするお花を造花にするなんて・・と言われてしまいそうですが、多様性を想像するとき、手に取っている生花が、輸入されていること知っている人の割合はどのくらでしょうか。コストがかかっているのに、手頃な値段で手に入れることができるからくりは?そんなことを考えますと、生花にこだわることに疑問を覚えました。
 
 だからと言って、造花を推奨しているわけではありません。昔ながらのお話を聞きますと、家の庭に咲いた花や植物をお供えすることが何よりの供養であると聞きますので、お庭の花を・・と言いたいところですが、アパートやマンションにお住いの方にお庭の花・・というのは無理な話です。
 
 東京にお住まいのご年配の男性の奥様は、数年前に他界されました。奥様がお元気だったころ、ご主人は奥様に対してお優しいわけでも、気遣われている様子も全くありませんでした。どちらかというと、その反対で横柄な態度をとられていたように思います。ところが、先立たれた後、亡き奥様に、毎日お線香とお花をお供えするが日課なのだそうです。気温が高い日は、日に3度お花のお水を取り替えてもお花が痛んでしまうと嘆かれていました。奥様を思うご主人の気持ちを思うと、夏の気温の高いときは、造花をお供えすることが悪いこととは思えませんでした。試作したばかりのアレンジメントお見せすると、喜んで持って帰られました。そのお話を伺って以降、真剣にアーティフィシャルフラワーの仏花の試作を試みています。
 
 やっとオンラインで紹介できる運びとなりました。「結子」の送料はお高く設定してあります。それは、今後ご贈答として発送する場合、メッセージカードや化粧箱、梱包するための細々したものをその都度請求することにためらいがあるからです。ですから、メッセージカードや化粧箱、梱包に代金はいただきません。現在、メッセージについては、どのようにご紹介させていただこうか・・また、化粧箱などの準備もしております。「結子」にしかできない、心と心が良い縁で結ばれるためのアイテムを思案中です。
 
 

花の心・人の心・・

2020-07-29
 本当に不安な日々が続いています。不安だけではなく、災害に見舞われた方々は、生活をどのように立て直していくのか・・そのような中で力を振り絞り前を向き生きようとする人々の気持ちを想像しますと、現在は病気もなく日常生活を送れている私がすべきことは、本当にこれでいいのかしらと思います。
 
 けれども、自然災害も病気も明日のことは誰にも分りません。今日一日を大切に生きることだけが、今私のすべきことと言い聞かせています。
 
 先日、「花のあらかると」という季刊誌が池坊華道会から送られてきました。冒頭には、池坊専永宗匠のお言葉が書かれていました。会員である中学生たちに手渡しますが、勉強も忙しいことと思い、一緒に読むことにしました。文中に、「当たり前のことですが、春には春、夏には夏の花しか咲きません。私たちは、咲き始めた桜の花に春の訪れを感じ、華やいだ、しかしながらはかない気持ちになります。季節の変化に対する気づきこそ、過去の思い出といった郷愁を呼び起こすのだと思います。」という文章を読んだとき、中学生はどのように捉えるのだろう・・と思い、この文章について考えてもらいました。
 
 別に・・と言った表情だったので、「華やいだ気持ちになるのに、はかない気持ちになるんだよ・・真逆の表現だと思うのだけど、そう思わない?」と聞くと、確かにそうだ・・という顔に変わりました。宗匠は御年80歳を過ぎています。春を八十数回経験しています。花は咲くと美しく華やいだ気持ちにしてくれますが、間違いなく散るときが来ます。人生と重ねるとなんとはかないものでしょう・・まだ、13年しか生きていない子供たちにはそのはかない気持ちを理解することは難しいことと知りながら、けれども、植物と人の心の響きを少しだけ感じてほしいと思いました。
 
 

心穏やかに・・

2020-07-28
 小学校1年の孫に、知人からいただいたアメリカンチェリーを食べる?と聞きますと、「アメリカがつくからいらない・・」という言葉が返ってきました。私の聞き間違い?アメリカがつくからいらない・・という意味について疑問に思っていると、突如「アメリカの大統領はだめだ・・」と言い始めました。「アメリカ大統領の何がダメなの?」と質問すると、「コロナ対策をしないから・・」という返答が返ってきて再度驚かされました。だから、アメリカとう名前が付いたチェリーは食べないんだ・・と変に納得してしまいました。けれども、このような感情から偏見へと発展していくのではないか・・そう思うと、世間を全く知らない子供の些細な言葉に、世の中の不安を感じました。
 
 コロナウィルス感染だけでも大変な問題ですが、豪雨災害、コロナによる景気悪化。世界に目を向けますと米中関係の悪化、日韓問題、関係悪化は自国や政治的な意図によって情報操作がされています。目にするもの耳にするものは、心を乱すことばかりです。
 
 けれども、私たちは今を生きなければなりません。どんなに辛くても、今の日本を作ってくれた先人たちの苦労を思えば・・と思います。何もできない自分の無力さに情けなく感じます。世の中のためになる何かを模索中です。今、何よりも大切だと思うことは、自分自身で心を穏やかに保つ工夫だと思います。仕事や家庭・・大変なことを見つけることは案外簡単にできます。けれども悪いこと探しをするのではなく、今、自分の置かれた環境の良いとこ探しをすると、きっと少しだけ気持ちが明かるなるように思います。「心穏やかに・・」自分で自分に言い聞かせています。
 
 

メッセージを・・

2020-07-25
「花戦さ」という映画は、野村萬斎さんが主演されています。2代池坊専好という役柄で、華道家でありお坊さんです。最初のシーンは、河原で亡骸を見つけ、野の花を手向けた後お経を唱える場面で、その様子は生々しくも感じましたが、「あ~きっと戦国時代はこうだったんだろうな・・」と当時の時代背景を鮮明に感じることができました。    
 
 2代専好が生きた時代、有名な武将は、織田信長や前田利家や豊臣秀吉です。茶の湯では千利休が・・日本人なら必ず聞いたことのある人々が活躍していましたが、庶民は戦国時代の真っただ中です。冒頭の河原のシーンでは、行き倒れた人の髪の毛を盗みに来る人が現れます。当時、貧しさに負けて身元不明の人の髪を売ってお金に換えたそうです。現代ではとても想像できない生活が、当時は当たり前だったのです。    
 
 当たり前ですが、携帯電話はありません。電話というものが発明されたのは19世始めだそうです。そこから1世紀余りで携帯電話が流通し、スマホが誕生するまで約20年・・目まぐるしい変化を遂げました。けれども、その変化に対応するというよりも時代に流れ流されて、大切なものを置き忘れてしまったように思います。    
 時代をさかのぼり500年以上前、織田信長はヨーロッパ諸国と交流があり、日本の銀を輸出し鉄砲の球を輸入していたことが最近の研究で明らかになってきました。現代と比べて不便な時代です。どのような方法で情報収集をしたのでしょうか。日頃からとても興味深く感じていましたが、交通手段は飛行機などありませんから船だったと思います。飛行機でも遠いヨーロッパとの交易があったことを知り、一層不思議な感覚なります。輸出や輸入のやり取りは文章でだったと想像しますが、言語も違います。宣教師がパイプ役であったことも理解できますが、情報交換はどのように行われていたのでしょうか。どちらにしても、人と人の交流は何ら変わらないとと想像すると何となく納得できるような気もします。現代は、情報交換のスピードが速くなっただけのようです。    
 
 大切な何か・・・というのは、間なのかもしれないと思います。間合いという言い方かもしれませんが、「間」というのは、「間」が良いと人の心を豊かにし、「間」が悪いと心が貧しくなるように思います。今の私たちの暮らし方は、少し「間」が悪いように思います。    
 
 コロナウィルス感染によってスローペースを余儀なくされています。もう一度生活を見直す良い機会だと感じます。最近、ハガキや手紙を書かれる人が少なくなっているようです。ラインやメールなど便利なツールに頼っています。けれども、少しだけ「間」を変えることで、見失っているものを見つけられるように思います。    
 
 結子の商品をどなたかのプレゼントに使っていただけるようでしたら、メッセージカードを添えるお手伝いをさせていただきたいと思っています。感謝の気持ちを言葉にするのは照れくさいかもしれませんが、時にはその感謝のメッセージがメッセージをもらった人を励ますことになるかもしれません。不便な時代は、見えていなくても相手を思う気持ちが、今より深ったのかもしれません。気忙しい時代だからこそ、少しだけロスタイムのような「間」が、人の心を温めてくれるように思います。メッセージのお手伝いにつきましては、今、必死に準備しています。「結子」は人と人の心が温かくなるような縁をつなぐ役目をさせていただきたいと思っています。
 
 

地蔵盆・・

2020-07-24
 今日は地域によっては地蔵盆といわれるお盆の行事が行われています。コロナウィルス感染予防のため、行事が中止になっているところも多いかもしれませんが、日本人にとってお地蔵様は、とても身近な仏様でした。
 
 過去形の言い方になってしまうのがとても残念ですが、近年、お地蔵様の存在を身近に感じる人は少ないでしょう。華道家元池坊の家元は、京都の街中にあります。お家元は頂法寺という寺院の住職でもあります。頂法寺は、西国三十三観音霊場の18番の札所になっています。お家元(池坊中央研修学院)でお勉強する機会があると、ホテルから学院まで歩いていきますが、様々な場所に小さなお地蔵様の祠を目にします。千と千尋の神隠しに出てくるような祠ではなく、ビルの一角にさり気なく、けれども近隣の方たちがとても大切にお守りしている様子が伝わってくるのですが、気づかれない人が多いようにも思います。
 
 残念なことに東京の街中では見ることのできない光景です。今年疫病を鎮めるために始まった京都の祇園祭は中止になりました。本来ならば、学院にお勉強に行く予定もありましたがお教室自体が中止となりました。寂しさもありますが安堵する気持ちが勝っていることに気付くと、自分の気持ちですが不思議な気分です。
 
 今日は本来でしたら、オリンピックの開会式が行われる予定でした。数か月前、オリンピックの延期を聞いた時、その判断は誤りではなか・・と思った自分が恥ずかしく思えるほど、コロナウイルスの脅威や不安によって、心境が変化していることにわが心ながら呆れます。
 
 身近な存在のお地蔵様・・人々の苦悩を我が事として助けるために、如来にならず菩薩のままでいられたそうです。難しい話になってしまいますので、ご興味がありましたら調べてみてください。今日は、そんな慈悲深いお地蔵様のお盆の日です。コロナウイルス感染拡大によって、辛い思いをしている方々の心が少しでも救われるように祈りたいと思います。
 
 

2020年6月

少しずつ・・

2020-06-13
 面白い・・と言ってはいけないのですが、HPの仕上がりが良かったことで、ビジネスのお問い合わせをいただきました。自分で作った・・というとかなり無理がありますが、様々なアイデアをお伝えして出来上がったHPですが、ショップにしては商品がほとんどありません。
 
になって 何よりも、HPがメインになってしまったので・・特にアーティフィシャルフラワーについては、商品を仕入れて、商品を作り、販売する‥それ以外にしなければならないことが山のようにあるので、頭で考えたことを視覚化するには、HPがてっとり早いかったのです。
 
 「HPが素敵だった・・」というお褒めの言葉をいただきましたが、嬉しいという感情よりも恥ずかしく思いました。内容がなくてもHPの出来栄えによって評価してくださっていることは単純には嬉しいのですが・・多方面から見ますと、こんなずさんな会社はないのです。まだ少し準備期間が必要なのに勇み足だな・・と。
 
 けれども、HPを公開してしまったことで、必死に仕事をしている自分がいます。頭の中に浮かんだアイデアを忘れないうちに可視化すること・・「結子」という会社を少しずつ前進させています。
 

日本手ぬぐい・・part2

2020-06-12
 ある人は言います。頭でどれほど考えても、行動を起こさなければ何も変わらない。けれども、行動を起こすことによって、劇的な変化がやってくる・・と。行動するということだけで、周囲は様々に変化します。けれども、その変化は自分の望む変化とは違っていることも大いにあります。そんなときの落胆を想像すると、変化なく何も行動を起こさなければ・・と思ってしまいます。ところが、必ず老いがやってきます。老いる‥という現象だけで変化のない人生などあるはずはないのですが、案外それに気付く人は少ないようです。なぜなら、その速度は意外にゆっくりで、ある時自分の年齢に気づき愕然とするのです。
 
 前置きが長かったのですが、日本手ぬぐいを制作することは、大冒険でした。制作する手ぬぐいの原本は版木でした。江戸時代後期から伝わる版木から版図を起こして、それをデータ化します。バランスをとったり、一本一本の線がしっかり出るよう工夫しなければなりません。線がゆがんだり、かすれたりしないように制作できるのは昔ながらの手ぬぐいやさんだと思っていました。
 
 そんなことを頭で考えていて、ある人に相談しますと、京都の老舗の永楽屋さんと面識があるとおっしゃってくださり、アポイント取ってみようか・・と。それからはトントン拍子であれよあれよという間に、手ぬぐいが出来上がりました。
 
 しかし、この手ぬぐいに込めた思いを誰が知るはずもなく、前回お話ししたことを忘れられないための苦肉の策だったのですが、突拍子もないことを始めた・・と思う人のほうが多かったように思います。
 
 完成から1年以上の歳月が過ぎましたが、今になるとあの時作ってよかったと思っています。コロナウィルス感染の収束が見えない中では、今、日本手ぬぐい作ることはできなかったと思います。何が幸いするのか分からない・・何が災いするかわからないのが人生だということを改めて感じました。このようなときだからこそ、お守り代わりに身に着けてほしいと思います。

知ること・・

2020-06-11
 ザ・ブーケ代表との再会は、私の世界観に大きな変化をもたらせくれました。この世はデザインに溢れている・・そのことに気づいた時・・視野がぱっと開く感覚は今まで経験のないことでした。物事理解するというのは、じわりじわりと染み込むような感じで、何年も経ってから、いつの間に習得していたのだろう・・とか、知らぬ間に・・という感じだと思うのです。
 
 ところが、この世がデザインで溢れている・・と知った瞬間、私の目に映るすべての世界に人の思考を感じることができるようになったのです。そのことを知っている人は、何を今さら不思議なことを言っているのね・・と思われてしまいそうですが、知らない・・ということはそんなものだということも併せて感じました。
 
 知る・・ことの高揚感や幸福感は、人生の醍醐味であり、前進するための起爆剤の役割を果たしているように思います。広い視野を持つためには、偏った見方をせず多くの人々を交流することによって見える世界があるようです。
 

夢の中で・・

2020-06-10
 私の母方の祖母は母が高校生の時に他界していますので全く分からない存在ですが、父方の祖母は、私が小学校5年生まで生きていてくれたので何となく記憶の片隅にいてくれます。不思議なことは、結婚する前に私が嫁としてふさわしいのかどうかを、まだ当時健在だった義父に夢の中で話をしていたのは祖母でした。
 
 私の特技の一つは、夢を覚えていることです。起きる寸前にあまりにもはっきりとした夢を見るので、頭の中に残像が残りすっきり起きられないのは、小学校高学年になってからずっと続いています。余談ですが、小学校時代に見た夢もまだ覚えているほどですから、インパクトのある夢をよく見るということのようです。
 
 数日前祖母が夢に現れました。大きな食卓で家族で食事をしています。私の名前を呼び「頑張っているね・・」と声をかけてくれました。それだけですから大した話ではありませんが、起きてその風景を思い出すとき、私にも孫がいますので、祖母の気持ちを考えたり・・孫の気持ちになってみたり・・夢から覚めたときの私は、孫としての気持ちが大きかったように思います。孫として、祖母に褒められた言葉に、心が温まりました。祖母の存在の大きさを夢を通して強く感じました。
 
 祖母と同居した期間は短かったのですが、祖母にとって私たち兄弟の存在はかけがえのないものだっただろうと感じます。ですから、忘れたころに現れて、励ましてくれるのだと思います。生きていれば、祖母孝行もできますが他界してしまうと何もしてあげられません。けれども、ある方が「思い出して話をしてあげるだけで供養になるんだよ・・」とおっしゃっていました。リマンバー・ミーという映画は、存在を忘れられてしまう寂しさを物語にしています。祖母を思い出すことは、私が幸せな気持ちにさせてもらいました。
 

池坊の魅力・・

2020-06-09
 私はどちらかというと体育会系ですから、華道はお嬢様がするもの・・と決めつけていて興味はありませんでした。しかし、嫁いだ先は伝統文化を重んじるところでした。郷に入っては郷に従えという言葉が脳裏をかすめ、嫁いだ後に、慣れない華道を学ぶことになりました。
 
 歴史を学ぶことがこれおほど面白いことだと知ったのは、華道や茶道を習うことになったからかもしれません。先ほど、私は華道のイメージについて「お嬢様がするもの・・」とイメージしていましたが、そう思っている方は多いのではないでしょうか。けれども、花道が学校教育に取り入れられたのは明治時代になってから・・江戸時代は庶民の習い事として、戦国時代においては花道や茶道は武士のたしなみだったことを知る人はごく少数でしょう。
 
 池坊においては、次期お家元が初めて女性であるという歴史的に意味深い時代を迎えることが報道などで取り上げられます。そうのような背景から考えてみてください。茶道や華道の世界は実は男性社会なのです。男性と女性では植物をとらえる視点が違います。その違いをあえていうならば・・理系や文系という言い方をさせていただきますが、どちらかというと華道は理系の頭脳を持った方が面白いと思えるようです。特に、500年以上前から伝わる花形「立花」は、プラモデルをつくようで面白い・・という例え話をしてくださった方がいました。植物の取り合わせによって大きくイメージが変わりますので、男性の持つダイナミックさや繊細な感性に驚かされることもあり、学べば学ほど面白い世界です。
 
 植物を生けるための法則があるのですが、その法則を習得すると植物を法則に従って生けることによって、美しい姿に生けることができる・・とうい意味のことをおっしゃられていました。あくまでも例えですから、そんなに簡単に習得できるものではありませんが、簡単に習得できない奥深さに心が惹かれるのだと思います。私はその境地に立つにはまだまだ程遠く感じますが、植物と向き合うことの楽しさと、様々な学びによって自然との共存について意識するようになったことは、人生をより豊かなものにしてくれています。理屈ではなく、自然と感じることができる日本の伝統文化の奥深い味を多くの人に知っていただきたいと心から願っています。
 
 

2020年5月

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伝統文化・・

2020-05-20
 今年、伝統文化親子教室事業が4年目に入りました。コロナウィル感染によって補助金はでないものと思っていました。申請書の受付は昨年11月でしたが、まさか数か月後に、世界中がコロナウィル感染の脅威にさらされているとは思っていませんので、昨年同様の事業計画を立てました。第一次審査が通りますと、再度事業計画を提出することになりますが、コロナウィル感染対策は必須です。どのような方法で教室を開催することが安全なのか・・必死に考えているところです。
 
 6月までに事業計画を見直さなければいけませんが、計画を実行するためには、様々な方にご協力いただかなくてはいけません。小・中学校も昨日から少人数制の登校が始まったばかりです。それぞれの立場によって様々な問題を抱えておられることを想像しますと、安易にご相談できません。
 
 私にとって生け花は、モノの見方を変える・・言い方を変えますと人生を変えるほど人生の価値観を変えた出会いでした。生け花との出会いは、伝統文化と関わりの深い家に嫁いだことによって、少しは心得がなければと思い始めました。日々の生活に追われながら、時にはお稽古を忘れてしまったことは数え切れません。そんな私をおおらかに見守ってくださった師匠との出会いが何よりも私の宝です。
 
 少し大げさに思われるかもしれませんが、簡単に言いますと、学校で勉強した歴史はどこか遠い存在に感じられて、心に響きませんでした。しかし、伝統文化の茶道や華道は、何となく心に沁みてくるものですから取得までに何年もかかりますが、日本の歴史を生身で感じることができます。その心に沁みていく感じは、知って得をした気持ちになりました。人によって感じ方の違いはあると思いますが、日本人が永い年月をかけて培ってきたの美学は自然とともにあることを感じると、人生がより深まっていくように思うのです。日本人としての誇りを持つことのできる文化ですが、伝承の危機にあります。一人でも花道の面白さ、歴史の深さを知ってもらえる機会を作ることが、私の務めであるように思っています。
 
 古の知恵を思うとき、こうして繋がってきた縁によって生かされていると思うと、辛いことや悲しいこともありますが、幸せに思えます。私は、生け花との縁に感謝しています。

花戦さ・・

2020-05-13
 2017年に公開された野村萬斎さん主演の花戦さという映画をご存じでしょうか。原作は2011年に出版された鬼塚忠氏が書かれた「花戦さ」です。花戦さは、2代池坊専好と茶人千利休との厚き友情の物語です。
 
 茶人千利休と2代池坊専好と聞かれたとき、池坊専好・・・それは誰?と思う方が多いと思います。日本伝統文化といえば茶道と花道。このことについて知らない人は少ないと思います。けれども、茶道といえば千利休ですが、生け花といえば・・・と聞かれて答えられる人は少ないでしょう。千利休が活躍した戦国時代から生け花は存在しました。現在も代々池坊という名字を継ぐ「池坊」が発症です。生け花発祥の地は、京都にあります頂法寺(西国三十三観音霊場の18番)。花道家元池坊は現在もそこにあります。
 
 劇中の生け花は、お家元から選ばれた先生方が撮影現場で生け込みをしました。劇中では大砂物を始め多くの生け花が美しく映し出されています。オフィシャルブックには俳優さんたちのコメントが掲載されています。生け花に対する見方が変わったという方が多かったのは、池坊の門弟として嬉しいコメントでした。先生方の植物に対する真摯な姿勢が作品に表現され、皆さんを魅了したのだと思いました。
 
 生け花の花形は、時代とともに変化してきました。現在のように外来種のお花は手に入らなかったでしょうし、ビニールハウスがあるわけではありませんので、当時は、季節季節に咲く花や植物を生けていたのだと思います。戦国時代に好まれた花・・床の間の広さに合わせて生けられる花々・・時代に合わせて人の心も変化しています。現代・・生活空間にどのようなお花を生けることが、人々の心を和ませることができるのか、伝統文化としての花道・・生活様式に合った花道を必死に模索しています。

ブログの名前を心だよりに・・

2020-05-10
 数年前にあるメンタルケアの資格を取得しました。何事も組織というのは、時に大きな傘となり、時にその傘に合わせて行動範囲の制約が出てきます。どのようなことでも名前を出すことによって、ややこしいことが起こりますので、資格の名前は伏せることにします。伏せるほどメジャーではありませんが・・
 
 活動の一環という表現は正しくないかもしれませんが、ある支援活動を試みています。毎回、施設に伺うたびに、施設長の話からは胸をえぐられるような痛みを覚えます。
 
 親による暴力や性的虐待・・・このような状態の子供たちを目の前にしたとき、「普通は・・」とい言葉を聞くたびに、「普通の生活が送れたていたら施設になどこないだろう・・」と思うそうです。そこに従事する方々は、渇き切った心をただ受け止めること。渇いた心に、いくら愛情を・・と押し付けても湿らすこともできない・・と。無言の対話が必要なのだと・・
 
 「無言の対話・・」は何よりも難しいことです。愛情というのは、感情が高ぶり篤くなるものです。親子でも恋人でも相手を思えば思うほど、篤くなってしまうものです。逆に、冷めた目で達観したり、見て見ぬふりをするためには、意識的に見ない努力が必要です。見たくないものを見ないことはある意味、自信の心のバランスを保つための防御術だと思います。けれども、「無言の対話・・」はこの論理からすると、めちゃくちゃに矛盾することになります。
 
 無言で対話をするということは、思い続け、目を逸らすことなく見続けなければいけません。けれども、そうした行いは相手を思えば思うほど、対話をしたくなります。ところが・・渇いた心に必要なことは、助けの手を差し伸べられたら、その瞬間に手をつかみかえさなければなりません。「無言の対話」というたった一言に、施設長の苦悩やジレンマを感じずにはいられませでした。
 
 支援の試みを長期に継続するために、また、少しでも多くの子に援助できれば・・・と思い組織的な活動をできないだろうかとみんなで話会いました。その話を聞いた施設長からは、また、目から鱗が落ちる言葉をかけられました。
 
 「今の時代、何か困っていることを話せば、話す相手によっては様々な協力をしてくれる。けれど、見も知らい人ではなく顔を見て話をしたおばちゃんやおじちゃんが、僕・私を思ってくれていることが伝わればいいんです。品物ではなく心を届けてあげたい・・」と。そんな施設長の思いから、その活動は「心だより」となりました。「元気にしてる?」「ご飯は食べてる?」というように何気ない言葉をかけてあげられる関係を作っていくこと・・それが、砂漠化した心にオアシスを作っていく方法であること。また、オアシスは作ってあげるのではなく自らが作る気にならなければ誰もつくることはできない・・と。
 
 そのような精神状態や状況は、特別な環境で育ったからではなく、悩みを抱えている人に対しては同じであると感じました。縁を大切に思う私としては、このブログが、私が出会う様々な方の視点から見た情景をお伝えすることにより、よりよく生きるためのヒントになったら・・と思っています。そんな思いを込めてブログの名前を「心だより」とさせていただきます。
 
 施設長がコロナウィル感染拡大防止の対策によって何よりも危惧しているのは、メンタルケアは今必要だと思う・・そんな言葉も印象的でした。

母の日に・・

2020-05-06
 私の母は健在です。母の母親は、母が中学3年生の時に癌のため亡くなったそうです。母は、強い人なのだと思います。母親が早くに亡くなったことを寂しく感じていることは、時折話す思い出話を聞きながら感じますが、もし・・母親が生きていたら・・という話は聞いたことがないのでそう感じるのかもしれません。
 
 最近は子供の虐待が社会問題にされていて、子供は自分の所有物ではなく、個々の意思があり尊重することを意識すると、親の意識が変わってくるということを聞きます。意識が変わることによって虐待が減っていくという考え方です。立場を変えて考えてみますと、虐待ではありませんが、引きこもりが社会問題になっています。親においても同じ考え方ができるのではないでしょうか。親は子の所有物なのでしょうか?親について考えをめぐらすとき、私を育ててくれた両親について考えます。母親を中学生の時に亡くした母の心の奥深くにある母親に対する思いを、私は理解することができているのだろうか・・と、年を重ねるごとに、その思いは深まっています。
 
 親が子供を理解できないように、子供が親の気持ちを理解する・・というより理解しようという意識をもっている人は少ないのではないでしょうか。親が無償の愛情を注ぐことは当たり前なのでしょうか。ではなぜ、子供を虐待する親は減らないのでしょうか。無償の愛情を注ぐという行為は当り前ではないのかもしれません。虐待も引きこもりも少しだけ子供を親を理解しようと努力できたら、何かが変わっていくように思います。
 
 いつの時代も何の問題もなく生きていくことは難しいことです。思い通りの人生を生きている人ばかりではないと思います。では不幸ばかりなのか・・と問うとき今こうして生きていられるのは、親だけではなく多くの人の支えがあって私たちは生かされていると感じることはできないでしょうか。そう思うと、どれほど思いが叶わない人生だとしても幸福を感じることができるように思うのです。
 
 さて、母の日の由来は諸説ありますが、100年ほど前アメリカのアン・ジャービスという人のある行いによって5月の第2日曜日になったそうです。詳細をご紹介したいところですが、長文になっておりますのでwebなどで検索してみてください。日本の母の日の始まりは、大正時代にキリスト教会の日曜学校でこの日に母を歌う行事が始まり全国へ広まったようです。
 
 数か月前には想像することができなかった感染症によって、社会生活が大きく変わろうとしています。けれども変わらないのは、人と人のつながりです。人と人の繋がりを強く感じられたら、人生は豊かです。このような時だからこそ、生きていることは自分の努力だけではなく、様々な支えがあって命があることを考える日だと思います。今、わたしたちを生んでくれた母親に会える人も会えない人も、母親に思いを馳せて母の日を迎えたいですね。

縁あって・・

2020-04-16
 ホームページ作成から1年の歳月が過ぎました。結子という会社は様々な思いから生まれました。けれども・・・まさか・・会社を興すことができるとは夢にも思っていませんでした。
 
 一昨年1月から1年間、不思議なことが次から次へ起こりました。神がかったという言葉しか思いつかないほど説明のつかないことばかり・・何事も、努力や能力だで思いは叶わない・・・何よりもタイミングが大切であると・・
 
 誰でも何かを思いつくことはあると思います。けれども、その思いを形にするためには相応の努力が必要です。けれども、一昨年の出来事は、努力というよりも何かに突き動かされて成ってきたようです。ところが人生甘くありません。昨年は、驚くほどスローダウンした感じになりました。一昨年を思い返りますと、昨年は物事の動く様子が全く違いますのでそのギャップに追いつかない私がおりましたが、一昨年起こった出来事を違った角度から振り返りますと、無理をすることも、もがくことも得策とは思えませんでした。
 
 当初、結子の商品は、通販で販売をしようと考えておりました。しかし、運送会社も人手不足や様々な事情から運賃が上がってしまいました。また、梱包にかかる手間や完璧な状態でお客様のお手元にお届けするためには、梱包するための様々なアイテムが必要です。そのように考えますとどうしてもコストが増えていきました。コストを抑えるだけの資金はありません。良い案が浮かぶまで待つことに・・そうして1年が過ぎました。
 
 昨年、現在の状況を予想されていた方がいるでしょうか?新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、今まで当たり前だった日常生活が送れないことを誰が想像したでしょう。明日のことも分からない今ですが、生かされている一瞬一瞬を大切に生きたいと感じております。結子という会社名にも深い思いが込められております。今後、様々な情報をブログで紹介させていただきます。商品に関係ない情報もあるかもしれませんが、ゆっくり、じっくり、縁をつないでいけたらと思います。

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