本文へ移動

心だより

2023年5月

八角堂

2023-05-05
 忍野村には、富士山と関係の深い神像が忍草浅間神社に祀られている。この話を語ると熱くなってしまうので、冷静に・・と自分に言い聞かせながら話したいと思う。

 富士山の神様と言えば、木花咲耶姫と現代では言われる。けれども、木花咲耶姫と言われるようになったのは江戸時代からだと聞く。興味のある方は、是非調べていただきたい。

 では、江戸時代以前は何という神様だったのかと言うと、かぐや姫である。とてもロマンティックな話だ。忍草浅間神社には、かぐや姫と翁と媼が祀られいる。また、翁は神様の名前を鷹飼明神といい、媼の神様の名前は犬飼明神という。神像の説明文では、両方の神像が男神像となっているが、神像の写真を見比べると、髪の結い方が違っている。静岡県富士市などのかぐや姫の資料を参考にすると、歴史的な背景や情景が浮かんでくる。

 富士山と関わりの深い忍草浅間神社の三神像は、国の重要文化財に指定されている。三神像を造像した仏師が三神像の後に作ったのが、東圓寺に残される聖観音像だ。廃仏毀釈以前、聖観音像は忍草浅間神社の現在の社務所に観音堂が建っており、そこにお祀りされていた。人の手で運ぶことのできるサイズだった聖観音像は、廃仏毀釈の時に、寺に運ばれたようだ。忍草浅間神社の門には四天王のうちの二天がおり。二天門となっている。人力では運べなかったことで神社に残された。

 お堂のなかった聖観音は、東圓寺の裏堂に安置され忘れられていた。三神像が重要文化財に指定されるときに、文化庁の調査が行われた。聖観音像も調査対象となった。そこで、聖観音も700年の歳月忍草の守り仏として残されていることを知ることになった。

 像造700年という100年という周期にご縁あることは不思議なことと思い、お堂を立てたいと願った。思うこと、願うことは簡単だが、現実にはかなり厳しい状況だった。発願して10年・・発願当初は、一般的な四角のお堂の予定だった。しかし、ある方が、忍野八海は八と縁が深いのだから八角堂が・・そんなお話を聞き、お堂は八角堂に決まった。

 お堂の基礎工事が終わった。その後、コロナの感染拡大を経験し、基礎から役年の歳月をかけて、昨年11月落慶法要を行った。八角堂の落慶に合わせて、忍草浅間神社三神像について、三神像と聖観音像の関係を何かに残したいと思い、やはりオフィスアンドと古都デザインにお願いして冊子を作成した。

 本当に不思議なことばかり・・この不思議な出来事は、まだまだ続いている。怒涛の日々を過ごしているが、今日一日を何とか終わらせていると、過去のことも未来のことも考えている暇がない。気付けば、一つ一つ、未来に残す作業は、確実に積み重ねている。積み重ねることが出来ているのは、多くの良きご縁のお陰である。今日も皆様に感謝。

 
アーティフィシャルフラワー
と和雑貨 結子
〒401-0511
山梨県南都留郡忍野村忍草37
TEL.0555-84-4107

 
TOPへ戻る